大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福島地方裁判所 昭和62年(行ウ)8号 判決

原告

遠藤直人

古市哲三

右両名訴訟代理人弁護士

関哲夫

被告

郡山市長

青木久

青木久

右両名訴訟代理人弁護士

石川博之

主文

一1  原告遠藤直人の主位的請求を棄却する。

2  同原告の予備的請求を却下する。

二  原告古市哲三の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

(原告遠藤直人の請求の趣旨)

一  主位的請求

被告青木久は郡山市に対し金三億四六九七万七〇〇〇円を支払え。

二  予備的請求

被告青木久は郡山市に対し金二億四一三〇万円を支払え。

(原告古市哲三の請求の趣旨)

一  主位的請求

被告郡山市長は、郡山駅西口再開発事業に関し、昭和六〇年三月末日現在の計画(以下「原計画」という。)と異なる構想に基づく一切の契約の締結及びこれに基づく公金の支出並びに郡山市都市再開発課郡山駅前事務所の維持のための一切の費用の支出をしてはならない。

二  予備的請求

被告郡山市長は、郡山駅西口再開発事業から株式会社そごうが撤退したために郡山市の受けた損害の賠償請求権を同会社に対して行使することを怠っている事実が違法であることを確認する。

(当事者間に争いのない事実の経過)

一  郡山市の概況

郡山市は福島県のほぼ中央に位置し、人口約三〇万人を擁する東北地方有数の都市であり、戦前より東北本線、磐越西線、磐越東線、水郡線が交差する交通の要点であったが、近年に至り東北新幹線の開通に伴う新駅の設置、東北自動車道の開通及び福島空港建設構想の具体化等による高速交通体系の整備により、首都圏と東北・北海道を結ぶ拠点都市として、その重要性を急速に高めつつある。

二  駅西口市街地の再開発事業の展開

郡山市の玄関ともいうべき駅前を中心とする市街地は、商業・業務・交通等多種多様な都市施設が集中し、市の中核市街地を形成してきた。

しかし、駅西口広場周辺地域(以下「駅西口地区」という。)には小規模な低層建物が密集しており、広場自体も狭小である等、その整備状況は到底良好とはいえず、市全体の都市機能の発展にとって大きなネックとなっている。

そこで、市では前々市長の時代である昭和四六年ごろから駅西口地区の再開発を最重点事業のひとつとしてとりあげ、関係住民との話し合いを通じてその構想を練ってきた。その結果、地権者等を駅前周辺より立ち退かせることなく公共施設の整備を行うためには、街路整備事業(用地買収方式)又は区画整理方式は適当ではなく、都市再開発法による市街地再開発事業の手法しかありえないとの結論を得、懇談会、説明会をしばしば開いて当該地域の住民の協力を求めてきた。

昭和四八年七月には担当係をおいて本腰を入れて取り組むことになり、昭和五〇年七月一日都市再開発課が新設された。同年一一月二一日には、都市再開発法に基づく市街地再開発事業に関する都市計画決定が行われ、市は自らが施行者となる第一種市街地再開発事業として実施する方針を定めた。昭和五四年三月になると、地権者らは駅前再開発地権者協議会(以下「地権者協」という。)を結成し、また六月には市議会も駅周辺総合開発特別委員会を発足させ、真剣に対処する態勢が整った。

同年九月一四日、市は駅西口に都市再開発課郡山駅事務所を設置し、次いで一一月には仙台通産局に対する事業概要説明及び郡山商工会議所(以下「商工会議所」という。)に対する事業計画の提示を行った。

地権者協は先進各都市を視察するなど種々検討を行った結果、テナントを内定して条件の煮詰めをしなければ事業に対する賛否を決められないため、市に対しテナント選考方法につき提案し、その結果、市は、昭和五六年三月一九日、市、地権者及び商工会議所の三者構成による再開発ビル入居者選考委員会を設置した。そこでは開発ビルの構想をめぐって種々の案が検討されたが、地権者、テナント及び市の三者の採算性を確保するとともに、既存商店街との有機的結合による相互補完関係によりバランスのとれた商業回廊を形成してショッピング・ゾーンの面的拡大をもたらし、文化的・教養的催しの場の提供等のコミュニティ機能を通じ地域の生活文化の向上に寄与する等の観点から、都市型百貨店をキーテナントとして誘致することが望ましいとの結論が出され、七月二九日その旨を市長に答申した。

他都市においても駅前再開発事業について都市型百貨店をキーテナントとした例として町田、上尾、所沢、大宮などがある。

市はかねてからキーテナントとして適当な都市型百貨店を選考していたが、昭和五八年五月に至り、「株式会社そごう」(以下「そごう」又は「そごう本社」という。)が適当であるとの結論に達し、同社もこれに賛同して両者間にその旨の文書が交換された。

六月五日、市と地権者協は、権利変換処分後の床の賃貸条件について協議をした。

六月一〇日、地権者協は市の提案に基づき、「そごう」をキーテナントとすることに同意した。

六月一一日、市及び「そごう」は、平成三年法律第八〇号による改正前の「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律」(以下「大店法」という。)三条に基づく届出について関係各方面への事前説明を開始した。このころ、右三者間には、地下二階、地上九階、塔屋二階、延面積四万六三六九平方メートルの店舗兼駐車場ビル(店舗面積三万一〇〇〇平方メートル)の建設についての合意が既に成立していた。このことは、このころ、市及び「そごう」が作成配付した文書からも明らかである。

七月二七日、「株式会社郡山そごう」(以下「郡山そごう」という。)が設立され、再開発ビルのオープンに向けて関係各方面への挨拶及び事業内容の説明を行い、また駅前に事務所を設置するなど精力的な準備活動を開始した。

九月一四日、市議会は「郡山駅西口市街地再開発事業促進決議」を行い、国及び県に対し決議書を提出した。

昭和五九年一月一〇日、知事から市長あて、「仙台通産局に対し、出店予定地が『第一種大規模小売店舗の出店が相当水準に達していると認められる市町村』に該当するか否か照会したところ、通常の手続によって処理するよう回答を得た」旨の通知があった。

一月一四日、市長は大店法三条に基づく届出を通産大臣あてに提出した。

一月一七日、付近の小売業者らの一部は、都市型百貨店の進出に難色を示し、「郡山そごう対策協議会」(以下「そごう対策協」という。)を結成して県に対して前記届出を受理しないよう陳情した。

そこで、四月一六日、市は商工会議所に斡旋を要請し、六月一六日から九月二六日まで五回にわたり懇談会を開いて話し合いをした。

八月九日、市議会建設水道常任委員会は、仙台通産局長及び知事あてに、「郡山駅西口市街地再開発事業の促進について」の要望書を提出した。

一〇月四日、県は大店法三条の届出を受理した。

一一月一五日、仙台通産局から商工会議所に対し、「小売業の事業活動を調整することが必要か否かについて、郡山市商業活動調整協議会(以下「商調協」という。)において検討に着手するよう」通知があった。これを受けて、一一月二九日を皮切りに、一二月一四日、翌昭和六〇年一月二二日、二月一八日、二月二二日、三月九日、三月二七日と連続的に商調協が開かれた。

「郡山そごう」は、昭和五八年七月、駅前に出店準備室を設けて以来、開店に備え郡山地元から社員を募集し、各地の支店で見習い勤務をさせていた。

建設省及び県は、市、市議会の賛同の下、地権者の熱心な協力が得られ、キーテナントも決まったことにより、昭和五九年度までに事業費補助として約一四億円を交付し、市費を加えて約二四億円が投入された。

(原告らの主張)

一  事実の経過

1  郡山市では、前記のとおり、前々市長の時代から一貫した方針の下に郡山駅西口再開発を実現すべく、地権者に対する説明、説得、関係各方面への根回しなど、着々と準備のステップを進めてきた。

その結果、昭和五〇年一一月には、市街地再開発事業に関する都市計画決定が行われ、市が施行者となり、「そごう」をキーテナントとする、都市型百貨店を中核とした再開発ビルを建設する再開発構想が次第に具体化していった。

昭和五八年六月ごろには、市と地権者、「そごう」との間に、地下二階、地上九階、延面積四万六〇〇〇平方メートル余の再開発ビルの建設計画について合意ができ、市から地権者らに対し、テナントの家賃、保証金の具体的金額が提示され、ほぼ合意に達したほか、立退先のあっせんも具体化しつつあった(地権者の一部に対しては、市から既に代替地が提供され、移転登記も了していた。)。

従って、右関係者らは、市の方針を信じ、具体的準備活動を進めていたものであり、大店法の手続が終了しだい再開発ビルの建設等の工事に着手することになっていた。

また、本件事業については、市議会の満場一致の賛成を得、市民の大方の支持を受けていたものであり(アンケート調査では消費者の七〇パーセント以上が支持。)、国及び県も、施行者たる市と関係者間にほぼ話し合いが煮詰まり、事業計画の実現は間違いないものと判断して、約一四億円の補助金を交付していた。

以上のとおりで、施行者たる市と地権者らと「そごう」との間には、再開発計画の内容につき具体的かつ細目にわたる合意がほぼでき、事業計画認可及び権利変更処分と表裏一体をなす契約が成立寸前の状態に達していたものである。

2  ところが、昭和六〇年四月七日、青木久が市長に当選すると、四月一五日、商調協は新市長と新商工会議所会頭との会談まで実質審議に入らないことを確認した。

四月二二日、新会頭が決まったものの、何故か商調協の審議はストップしたままであった。新市長の態度に不安を感じた地権者協は五月一七日に青木市長との懇談会を持った。その席上青木市長は、大型デパートが進出するのは高度成長時代のことで、このころは大型店は閉鎖に向かっているので、再開発事業計画の大幅な見直しを考えていると言明し、再開発ビルを九階から一六階に変更し、敷地を半分に縮小して余った土地に公園を造成し、ビルにはショッピング・センターのほか都市型ホテル、コンベンション・ホールや第二県庁も入れたい、と述べた。

この突然の発言は、これまで市の方針を信頼して協力してきた地権者らにとって正に青天のへきれきであり、地権者協は、直ちに絶対容認できないとして市長に抗議し、会場は混乱に陥った。また市の幹部も市長の新方針を全く知らず、狼狽するばかりであった。

県都市計画課は、原計画が昭和五〇年以来三回にわたって都市計画決定がされており、特に昭和五九年二月の県都市計画地方審議会では建物面積等が明示された最終計画案が知事決定され、何分一〇年以上かけてまとめ上げてきた原計画であるだけに、原案の変更ということになるのだろうが、それには住民や審議会委員に納得してもらうだけの論拠を示す必要があるし、五九年度は用地取得などで七億六五〇〇万円を執行、六〇年度も国から一一億二〇〇〇万円の予算の内示があり、県も六三〇〇万円を措置、市もこれに六億円余を加えて事業を進める手筈になっていたのに、予算は当面凍結、場合によっては国に返還ということもあり得る、と当惑の色を隠さなかった。

五月二一日、青木市長は商工会議所正副会頭と会談し、「そごう」出店を前提とする商調協の審議を当分の間凍結することが決定された。この後、市長は記者会見をして、九月定例市議会までに新構想を明らかにすることを約束した。

市長と地権者協との第二回懇談会は六月一三日に開かれ、市長は八月初旬までに市長案を提示すると言明した。

八月二〇日、地権者協に対し、市長から、地上二一階建の見直し案が出され、ホテルや貸事務所を含め、第三セクター方式で管理するとの説明がなされたが、テナント選定や面積配分も欠いた杜撰な計画であり、思いつきの域を出なかった。このため地権者協は、「見直し案はあいまいで協力できない。原計画を進めてほしい。」と述べ、物別れに終わった。

また八月二三日に開かれた市議会の駅前再開発促進特別委員会でも、大多数の委員が「原計画を推進すべきだ。」と市長に迫った。そこで、市長は、翌二四日の懇談会で、地権者に対し、見直し案を白紙撤回し、原計画に戻ることを約束したが、同時に「民間活力の導入」、「既存商業者との共存共栄」などを含む五原則を堅持するとの決意を表明した。

これらの市長の計画見直しは、キーテナントの「そごう」に対する一切の連絡や相談なしに行われたものである。八月二六日に至り、市の担当者からはじめて以上の経過の概略の説明があったが、「そごう」側が市長の方針と真意について不安と疑念を抱いたのは無理からぬところであった。

九月二五日、事態を憂慮した仙台通産局は、県、市、商工会議所との四者協議会を開き、商調協に対し審議再開の指導をすることを確認した。しかし、その後も市長は、トップ会談が先であるとか、既に関係者が合意している「そごう」の売場面積三万一〇〇〇平方メートルを二万平方メートルに減ずる必要があるとか、従前の発言を繰り返し、地権者と「そごう」の不信感は募る一方であった。

一〇月二日、市長は「そごう」社長あてに、事業を原計画に従って推進することとしたので協力されたいとの文書を発した。これに対し「そごう」は、「原計画で行くというが、①五原則の真意は何か、②売場面積を二万平方メートルに減ずると報道されているが、これは到底受け入れられない、③商調協は以前中断したままである、従って、以上の三点に関し、掛値なしに原計画を速やかに推進する旨を、できれば文書の形にしていただきたい」と申し入れた。これに対し市は文書による回答を拒否した。

一〇月一四日、市議会は商工会議所に対し、商調協の再開を要望し、これより先九月三〇日には地権者協が同様の陳情をしていたが、商工会議所は一一月一九日に至り、市と「そごう」の話し合いが整うまで待ってほしいと回答した。

一一月三〇日、市は市議会に対し、計画を再調整する必要があるとし、開店を二年以上延期して昭和六三年一〇月以降とし、事業費の見積りも改めてはじき直すことになると説明した。

「そごう」としては、数百億円の投資が予定される大型プロジェクトであり、市・地権者との緊密な信頼関係がなければ到底推進が不可能であるのに、青木市長は①就任早々従来の経過を無視し、計画の大幅見直しを宣言したが、そのことにつき「そごう」に一言の相談もなかった、②見直し案撤回後も「五原則」が前提であると再三言明し、しかもその真意について「そごう」が問い合わせても文書による回答を拒否した、③売場面積は当初から三万一〇〇〇平方メートルと決定されているのに、一方的に二万平方メートルに下げると発言しており、そのような立場で商調協に臨めば、更に大幅なカットを受ける可能性があって、採算がとれない、④口先では商調協の再開を唱えているが、実際は商調協は既に一年以上中断されたままで、再開のメドはない、⑤既に合意に達していた家賃や保証金額も御破算になり、改めて協議せざるを得ず、これでは一体いつオープン出来るか見通しが立たない、との諸点から、市長には積極的に事業を推進する誠意が全くみられず、信頼することができないと判断し、年末やむなく出店を辞退する決意を固め、昭和六一年一月七日、市及び地権者らにその旨を通告した。

全国的な大型店ネットワークの形成を戦略方針とし、着々と実現してきた「そごう」にとって初めての撤退事例であり、すでに一億円以上の社費を投入した後であるだけに、苦渋に満ちた無念の決断であった。

一月八日、地権者らは、市長に対し、「そごうの辞退は市長の対応の不手際が原因であるから、一月一六日限り地権者協を解散するとともに、新たに駅前法廷対策協議会を結成し、今後貴職の計画する再開発事業には一切協力しない」と通告した。

三月二四日、地権者らは、市を被告として国家賠償請求訴訟を提起した。

昭和六一年六月、青木市長は、自己の新構想による駅前再開発ビル計画を具体化するための第一歩として、右ビル計画提案競技(いわゆる設計コンペ)を行うこととし、募集要綱を公表し、実施した。

この事業のために既に六四万二六〇三円の市費が支出されている。

また、同市長は、右計画の実現のための市の専担組織として、市都市再開発課駅前事務所(駅前再開発事務所)を維持し、そのための人件費及び事務経費として昭和六〇年度に九八七七万六七九三円、昭和六一年度に一億二六九六万九九三〇円を支出し、引き続き昭和六二年度も予算を計上して支出を続けている。

二  青木市長の方針変換の違法性

1  地方公共団体の長が選挙により交替した結果、前任者が決定し既に推進中の継続的施策に変更が加えられることがありうるにせよ、その変更には、条理上一定の限度が存在するといわなければならない。

地方公共団体の長はその事務を自らの判断と責任において誠実に管理し及び執行する義務を負うのであり(地方自治法一三八条の二)、地方公共団体と委任関係に立つものと解されているので、新任者たる長による従前からの継続的施策の変更が必要性と合理性を欠き、裁量権の濫用にあたり、地方公共団体に損害を与えた場合には、長個人は地方公共団体に対し、債務不履行ないし不法行為の責任を負う。

2  一般に都市再開発事業は当該区域の地権者やキーテナント等多くの利害関係人の死活にかかわる問題であるため、その遂行にあたっては、これらの利害関係人と事業施行者たる市との間に長期間にわたる慎重な協議が積み重ねられ、諸条件が次第に煮詰められ、事業計画の内容につき具体的かつ細目にわたって合意が成立することが不可欠の前提となるものである。事業計画の認可や権利変換処分は、いわば右の合意を形式的にオーソライズするものにすぎない。

郡山市では、前記一の1記載のとおり、昭和六〇年の市長選の直前において、施行者たる市、地権者及び「そごう」の三者の間に、再開発計画の内容につき、具体的かつ細目にわたる合意がほぼできており、事業計画認可及び権利変換処分と表裏一体をなす契約が成立寸前の状態に達していたものである。

しかるに、青木市長は当選後、何らの予備的折衝もなく、全く突然、再開発計画の全面的見直しを宣言し、強引に実行に移そうとした。すなわち、再開発ビルの計画とキーテナントの見直しは、とりも直さずこれらを核心とする再開発事業自体を振り出し点に戻し、それまで多年の年月にわたる関係者の辛抱づよい努力の積み上げを御破算にすることを意味するものである。青木市長は、関係人が十年余の歳月をかけて営々と形成してきた締結寸前の契約を破棄したものである。

青木市長のこのような施策の方針変換は、従前の経緯からみて全く必然性・合理性のないものであり、市長に与えられた裁量権の明らかな濫用にあたり、違法である。

3  被告らは、計画の見直しが選挙公約であり、住民の意思であったかの如く主張するが、選挙広報に登載された青木久の選挙公約には本件再開発の見直しは全く含まれていないのであり、それは市長選挙の争点になっていなかったものである。

また、被告らは、「そごう」の辞退は青木市長による計画変更に起因するものでないと主張するが、誤った見解である。

三  原告遠藤直人の主位的請求について

1  住民訴訟の対象たる財務会計上の行為の一類型である「契約の締結若しくは履行」とは、住民訴訟制度の趣旨目的からみて、広く契約の締結又は履行に関して当該地方公共団体に対して損害を与え又は損害を与える可能性のある執行機関又は職員の所為を意味するものと解すべきであるから、狭義における契約の締結、履行のみならず、契約締結の準備段階における故意又は過失に基づき、契約を成立せしめなかったことにより、当該地方公共団体に損害を与えた場合をも含むものである。

青木市長が前記二の2記載のとおり、締結寸前の契約(事業計画認可及び権利変換処分と表裏一体をなす契約)を破棄した行為は、住民訴訟の対象たる財務会計上の行為にあたるものである。

青木市長はその違法な方針転換により従来順調に進行してきた駅前再開発事業を実現寸前で挫折させた(「そごう」を辞退に追い込み、事業を振り出しに戻してしまった)ものである。

青木市長の違法な方針転換がなければ、駅前再開発事業は準備段階にあったとはいえ、実質的には既に八分通り進捗していたものであるから、市における仮定的利益(公益ないし行政上の利益)状況と現在の利益状況(駅前整備は何らできておらず、その準備も無に等しい状態)との差が市の受けた損害であり、具体的には結果的に無駄となった過去において再開発事業の準備のために支出された公金の額がこれにあたる。

よって、郡山市の住民である原告遠藤直人は、再開発事業の準備のために支出された公金のうち、被告青木久が郡山市長に在職していた昭和六〇年五月から昭和六一年二月までの間の

(一) 職員人件費 六五七〇万一〇〇〇円

(二) 事務費 一三六五万六〇〇〇円

と、昭和五〇年から昭和六一年二月までの事業費中

(一) 再開発ビル実施設計委託費一億四七〇〇万円

(二) 権利変換事務委託経費 九四三〇万円

(三) 駅前広場設計委託費 二六三二万円

合計 三億四六九七万七〇〇〇円について郡山市に代位して同被告に請求するものである。

2  以上のとおり被告青木久の本件所為は郡山市に対する不法行為を構成する。

ところが、郡山市長としての同被告は、市が個人としての同被告に対して有する右不法行為に基づく損害賠償請求権を未だに行使しようとしない。右損害賠償請求権は郡山市の財産ないし債権に該当するものであるから、右不作為は財産の管理を怠る事実にあたる。

よって、原告遠藤直人は、1が認められないとしても、右怠る事実に係る相手方(個人としての市長)に対する損害賠償の代位請求として、被告青木久に対して、請求の趣旨一項記載の通りの請求をするものである。

四  原告遠藤直人の予備的請求について

被告青木久が昭和六〇年八月二〇日に地権者協に対して提示した見直し案は、地権者及び一般市民の強い反対にあい、同年八月に撤回された。しかし、同被告は原計画に戻ったわけではないとして、商調協の再開を妨害するなどの挙に出たため、「そごう」は昭和六一年一月、キーテナントの辞退を余儀なくされた。

しかるに、平成二年二月七日に至り、同被告は、福島地方裁判所において、再開発計画は見直し案の撤回により原案に戻ったと述べ、前記発言を訂正した。

仮に、右訂正が正しいものとすれば、「そごう」の辞退は全く理由のないものであって、明らかに郡山市に対する不法行為であり、同市はこれによって少なくとも次の損害を蒙った。

(一)  再開発ビルの実施設計委託費 一億四七〇〇万円

(二)  権利変換事務委託経費 九四三〇万円

合計 二億四一三〇万円

従って、同被告は、市を代表して、「そごう」に対し右損害賠償請求権を行使すべき義務があった。しかるに、同被告は、これを怠った結果、右損害賠償請求権は平成元年一月に時効により消滅した。従って、同被告は市に対して右請求権相当額である予備的請求の趣旨記載の金員の損害賠償責任を負うものである。

五  原告古市哲三の主位的請求について

原告古市哲三は郡山市の住民である。ところで、郡山市長が郡山駅西口広場再開発についての独自の新構想を実現すべく維持している駅前再開発事務所の職員に係る人件費、事務経費の支出、既に行われた設計コンペに続いて今後強行することが確実に予測される設計委託、権利変換委託等の行為及びこれに基づく公金の支出等の行為は、市長の行政上の方針の実行であると同時に、事務委託等、市に対し直接公金支払等の債務を発生せしめる財産上の契約であるから、住民監査請求の対象たる財務会計上の行為にあたる。

郡山市長のこれらの行為は、現になされ、又はなされることが相当の確実さをもって予測され、かつ、市に回復の困難な損害を生ずるおそれがある場合にあたる。

青木市長の方針変換は前記二記載のとおり違法であって許容されないものであるから、その後における独自の構想の推進行為もすべて違法性を帯びる。そしてこれらの一連の行為は、原則として相当額の公金の支出を伴うものであるから、右行為により公金支出額の損害が生じることが相当の確実さをもって予測されるものである。

右損害については、同原告は追って別途市長たる青木久個人に対し、市への賠償を求める予定であるが、損害額がかなり大きなものになることが予測され、到底個人では支払能力がなく、結局市は大部分取立不可能に陥らざるを得ないことが明らかに予測される。そうとすれば右行為及びこれに伴う公金支出によって、郡山市に回復の困難な損害を生ずるおそれがあるといわなければならない。

よって、原告古市哲三は、被告郡山市長に対して、請求の趣旨一項のとおり求める。

六  原告古市哲三の予備的請求について

仮に、同市長に対する主位的請求が理由がないとしたときは、とりも直さず辞退した「そごう」側に責任があることになるから、郡山市は「そごう」に対して少なくとも次の損害賠償請求権を有するはずであり、同市長が未だこれを行使しないで放置している状態は、財産の管理を怠る事実に該当する。

(一)  再開発ビル実施設計委託費一億四七〇〇万円

(二)  権利変換事務委託経費 二四〇〇万円

よって、同原告は、同市長に対して、予備的に請求の趣旨二項のとおり求める。

(被告らの答弁)

一  原告遠藤直人の主位的請求の1に対する本案前の答弁

同原告は、青木市長が締結寸前の契約を破棄したとして、右行為が住民訴訟の対象である財務会計上の行為となると主張するが、右行為は住民訴訟の対象とはならないものであるので、同原告の右請求は不適法である。

すなわち、同原告は、地方自治法二四二条一項の「契約の締結若しくは履行」とは、執行機関又は職員が違法な契約を締結し又は履行した場合のみならず、これらの者が故意又は過失によって契約の締結前の準備段階において契約の締結に至らせず、もって地方公共団体に損害を与えた場合をも含むものであると主張しているけれども、明文に反するばかりか、住民訴訟制度の目的の理解を誤った見解といわざるを得ないものである。

二  原告らの主張事実は否認する。

三  青木市長当選までの経緯

1  郡山市がとりあげている「郡山駅西口市街地再開発事業」というのは、駅前広場、周辺道路の整備なども内容とする総合的なもので、再開発ビルを建設することのみを内容とするものではない。郡山市民の大多数は、駅西口地区が現状のままで良いとは考えていないのであって、特に、駅前広場の早期の拡充整備の必要性については、つとに市民的な合意が出来ていたといって差支えない。

再開発ビル建設の構想は、このような駅前広場等の整備により必然的に影響を受ける地権者らの為に生じたものに外ならない。そして、この再開発ビルのキーテナントを、三万一〇〇〇平方メートルという膨大な店舗面積をもって「郡山そごう」とする原計画は、前市長が積極的に推進してきたものである。

2  しかしながら、昭和五八年六月に、「そごう」を再開発のキーテナントとすることに内定した際から、郡山市においては、主として既存商業者と共存できるかという点を争点として、市内商業界を始め各界に賛否両論が巻きおこるところとなった。とりわけ、「そごう」の出店により多大な影響を受けることは必至と思われた市内商店街は、結束して「そごう対策協」を結成し、関係諸機関に対する働きかけをしていた。

そして、右「そごう」の郡山出店が内定してから約二年が経過した昭和六〇年四月の市長選挙当時は、社会経済情勢、特に景気の面では郡山市の小売販売額の伸びが鈍化傾向にあるなどの変化があったため、大規模百貨店である「郡山そごう」を原計画どおり誘致することは、既存商業者との共存の可否という点で、従来より深刻な問題となっていた。

3  昭和六〇年四月に実施された郡山市長選挙においては、再開発ビルの内容如何が実質的には選挙の争点とされたのである。そして、原計画の見直しを主張して選挙戦を戦った青木久が、郡山市民の強い支持により当選したのである。

すなわち、原計画の見直しは、青木市長の市長就任前からの政策であり、青木市長は市長就任後、前市長時代から継続している他の事業同様、原計画が郡山の将来にとって最善のものか否かを再検討すべく、その見直し作業に着手したのである。原計画を見直すべきであるとの政策を掲げて選挙を戦い、それに対する市民多数の支持を得て当選した青木市長とすれば、見直しはその責務でもあった。また、青木市長の当選後は原計画の見直しを求める陳情が相次いでいた事情もあった。

しかし、青木市長は、原計画、すなわち、再開発ビルの利用計画の見直しは考えこそすれ、その以上に、駅西口地区の再開発計画そのものを全面的に見直すべきであるとか、あるいは白紙に戻すべきであるとまでは考えていなかったものである。駅西口地区が現状のままで良いとは大多数の市民同様青木市長も考えてはいないのであり、ただ、駅前整備に伴う再開発ビルの利用計画の内容、すなわち、三万一〇〇〇平方メートルもの店舗面積をもって一百貨店をキーテナントにしてしまうという内容については、将来の郡山市のあるべき姿、また、地元商業者との共存共栄などを考えた場合、まだまだ検討すべき余地があると考えていたのである。

四  青木市長による再開発ビル計画の見直し及びその撤回

1(一)  本件再開発事業は、

① 都市計画法に基づいて福島県知事及び郡山市が定めた都市計画(同法一五条以下)を基盤として、

② 都市再開発法に基づいて郡山市が事業計画を作成し(同法五一条以下)

③ 更に、都市再開発法に基づき、郡山市が権利変換計画を定める(同法七二条以下)

という段階を経て進められるものである。

(二)  本件再開発事業は、前記手続のうち都市計画決定まで完了し、現在は都市再開発法に基づく事業計画の作成へ向けての検討の段階にあったものである。

そして、事業計画の性質は、当該市街地再開発事業の基本的枠組みを高度の行政的、技術的裁量によって一般的、抽象的に定めるものにすぎないものであり、従って右事業計画は特定個人に向けられた具体的な処分とは著しく趣を異にするものである。

原告らは、「事業計画の認可や権利変換処分は、(地権者、施行者たる市及びキーテナント間の)合意を形式的にオーソライズする行為にすぎないと言うが、法律的には都市再開発法に基づく諸手続(特に各種の公告)が履践されない限りは、右のような合意も法的に高められることはないのであるから、それを単に「オーソライズするにすぎない」とは言えないし、法的に高められていないものを「法律的に言えば契約締結の寸前」というのも当を得ないものである。

前市長時代に郡山市が地権者らに提示していた賃貸条件等に関連する金額などは、相当に具体的なものではあったにせよ、後記2の事情も含めなお種々の条件を前提とした一つのモデル案にすぎなかったものである。

2(一)  また、大店法の調整システムによれば、

① 大規模小売店舗を建てようとする者(建物設置及びその中で小売業を営もうとする者)は、大店法の規定により届出を出すことが義務づけられ、

② この届出が受理されたうえで、通産大臣が大規模小売店舗審議会(大店審)に諮問し、大店審は商工会議所に諮問し、さらに商工会議所会頭が商調協に諮問する

という経路を辿ることになるものである。

(二)  郡山市の場合、商工会議所会頭の諮問を受けて開始された商調協の審議も、青木久が市長に就任した当時は、店舗面積など実質的な内容の審議には入っていなかったものであって、従って「郡山そごう」が、店舗面積三万一〇〇〇平方メートルという規模で開店しうるか否かは全く確認していなかったものである。

すなわち、「郡山そごう」は、三万一〇〇〇平方メートルの店舗面積の確保を出店の条件としていたのであるが、そのような膨大な店舗面積は、昭和五七年四月、商工会議所の会頭に再開発ビルに都市型百貨店を導入することについて消極派の会頭が選出された時からもともと不可能であり、店舗面積が一〇〇パーセント認められることは、右会頭が委嘱する商調協委員の構成及び既存の百貨店の店舗面積のカット率の経緯からも期待されることが困難であったのである。また、既存の商業者の強い反対があるため、それら商業者との調整をどのようにするかという難しい問題をかかえていたのである。

3  右のような経過を経て、青木市長は市長当選後の昭和六〇年八月二〇日、当選後の絶対的に時間の不足しているなかで職員を督励し、自身最良と思われ、また、地権者らにも受け入れられうると考えた案、所謂「見直し案」を作成提示した。青木市長とすれば、この見直し案は、地権者に対し再開発ビルの利用計画についての概要を示すものであり、その同意を得たうえで、関係諸機関、諸団体との協議に入る腹づもりであった。

しかしながら、地権者はこの見直し案に全く応じなかったため、青木市長はやむなく、原計画を郡山市民全体の利益となる形、すなわち、所謂五原則に適合する形で推進することとし、見直し案を撤回することにした。

五  「そごう」の出店辞退

1  そこで、青木市長は、原計画のキーテナントであった「そごう」との話し合いを求めたのであるが、「そごう」からは「市長の方針が確定した時点でお会いする」とのことで、話し合いが実現しない状況であった。その後右のような見直し案の撤回後、青木市長は五原則を踏まえつつ原計画を推進する旨明言し、自ら「そごう」と話し合うことを希望していたが、実現はしなかった。原告らは、「そごう」からの問い合わせ等に対し、青木市長において文書による回答を拒否したようなことを言うが、青木市長は直接会って説明することを求めていたのであって、文書による回答を拒否したのではない。

2  見直し案撤回後の、郡山市と「郡山そごう」ないし「そごう」との交渉は、前後九回に及ぶいずれの会合においても、従前どおり「郡山そごう」を再開発ビルのキーテナントとして迎えるという前提で協議が進められ、順次出店条件の細部の確認などの具体的作業へと進んでいったものであり、このことは、「郡山そごう」から出店辞退の申出(昭和六一年一月七日)がなされた直前の、昭和六〇年一二月二四日の事務協議まで同様であった。

郡山市とすれば、青木市長による「見直し案」の提示、そして、その撤回後においても、誠意をもって「郡山そごう」に対処してきたものであって、青木市長としても、また郡山市にとっても、「郡山そごう」の突然の出店辞退は全く予想していないところであった。

3  「そごう」が辞退したのは、商調協においてはたして「そごう」が期待するような結論がでるのか否か危惧したことによるものであって、青木市長の原計画の見直しとは関わりがないものである。

前市長が積極的に推進してきた原計画については、市内商業界を始め、各界に賛否両論を巻きおこし、昭和六〇年四月に行われた郡山市長選挙においては、その当否が選挙の争点とされ、原計画の見直しを主張して選挙戦を戦った青木久が郡山市民の強い支持を受けて当選したものである。

もともと再開発ビルに「郡山そごう」という「大規模小売店舗」を導入するという原計画に対しては、地元商業者を始め多数の市民の強い反対があって、当初の段階からその実現の困難が予想されていたものであるが、前市長は、何らの話し合いをも行うことなく、これに反対している多数の市民の意見を全く無視して、原計画を積極的に推進していた。

そのため、これに反対する勢力は、これを選挙の大きな争点の一つとして争い、青木久が当選したものである。

商工会議所では、既に再開発ビルに大規模小売店舗を入れることには時期尚早との意見が出ていたものであり、商調協においても、都市型百貨店を導入するとしても、その希望する店舗面積がそのまま認められるということはきわめて難しい情勢にあったものである。

このため、「郡山そごう」は、郡山に進出するについて、条件としていた売場面積三万一〇〇〇平方メートルの確保が承認されるとは予測し難い状況であったことから、撤退を決意したものである。

六  「そごう」撤退後の状況

1  「郡山そごう」の辞退申出により、郡山市としては、「郡山そごう」をキーテナントとする原計画は実現不可能になったと理解し、その後の再開発の進め方につき地権者と個々に協議を持ったのであるが、その際、地権者の一部より原案の提示を求められたため、原案を作成する一手段として、提案競技方式による再開発ビル利用計画案の公募を行い、現在郡山市は六件の案を有している。

2  しかるに、地権者は、その後も「郡山そごう」の出店を強く希望していたため、郡山市としても、「そごう本社」に対し、出店の意思の有無を確認する必要があると考え、昭和六二年九月一八日、郡山市出店の意思確認をしたいとの申入れを行った。これに対し、「そごう本社」東京経営計画室店次長林敏夫は、「そごう出店については既に決着している問題でもあり、今更市とお会いしてお話しすることは何もない。必要ならば郡山にお伺いをして事情を説明してもよい」との回答をした。更に、郡山市は同月二二日、念の為、助役が上京し、林店次長と面会し、「そごう本社」の意思確認をしたが、この際も同店次長から「同社井上副社長と相談の上で郡山出店の意思がない」旨の回答を得た。

以上の経過であるので、郡山市としては、原計画は「郡山そごう」の出店辞退により実行不可能となり、消滅したと考えている。

そして、郡山市の首長たる青木市長とすれば、駅西口市街地再開発事業が、目下の郡山市における最大の懸案事項であり、これ以上の停滞が許されない事業であるところから、再開発ビルの利用計画については更に検討を進め、原計画以上のものを打ち出すべく努力をしている。

七  以上のとおり、青木市長は原計画の内容に反対する郡山市民多数の支持を受けて当選し、市長就任後、前市長時代から継続している他の行政事務同様、原計画が郡山の将来にとって最善のものか否かを再検討すべく、原計画の内容について民意に従って見直しをしたのであって、首長の広範な行政執行権(地方自治法一四九条九号)からすれば、この見直しは住民自治という地方自治の本旨にかないこそすれ、何ら裁量権を濫用するものではない。

理由

一原告遠藤直人の主位的請求(請求の趣旨一項)の訴えの適法性について

1  主位的請求の1について

同原告は、青木市長が、郡山市、地権者及び「そごう」の三者間で成立寸前であった「都市再開発事業計画認可及び権利変換処分と表裏一体をなす契約」を破棄したという行為をもって、住民訴訟の対象たる財務会計上の行為のうちの「契約の締結・履行」に該る旨主張する。

ところで、地方自治法(以下「法」という。)二四二条の二に定める住民訴訟は、地方財務行政の適正な運営を確保することを目的として認められた民衆訴訟であり、その対象となる事項は法二四二条一項に定める事項(公金の支出、財産の取得・管理・処分、契約の締結・履行、債務その他の義務の負担、公金の賦課・徴収を怠る事実、財産の管理を怠る事実)に限定されているのであるが、それらは、住民訴訟の前記目的に照らし、いずれも財務的処理を直接の目的とする財務会計上の行為又は事実としての性質を有するものに限られていると解される。したがって、住民訴訟の対象となる「契約の締結・履行」にいう「契約」とは、地方公共団体の財務的処理を直接の目的としてなされる具体的な契約であり、それにより地方公共団体の財産に損害が生じうるものでなければならない。

これを同原告の右主張についてみてみると、同原告は、その主張する成立寸前の「都市再開発事業計画認可及び権利変換処分と表裏一体をなす契約」なるものがいかなる内容のものであるかを明らかにしていないので、その契約の内容は不特定であるといわなければならず、財務的処理を直接の目的としてなされた具体的な契約であると認めることはできない。

従って、右主張にかかる「成立寸前の契約」を破棄したとする行為をもって、住民訴訟の対象たる財務会計上の行為ということはできず、右訴えは不適法であるといわなければならない。

2  主位的請求の2について

原告遠藤直人の主位的請求の2は、郡山市が被告青木久に対して有する不法行為(市長としての非財務的な職務行為によるもの)による損害賠償請求権について、青木市長がその行使を怠っているとして、法二四二条の二第一項四号後段に基づき、右怠る事実に係る相手方(被告青木久)に対し損害賠償の代位請求をするものである。

法二四二条の二第一項四号後段の損害賠償の代位請求は、地方公共団体が「相手方」に対して有する損害賠償請求権を「財産」としてとらえ、右請求権を行使しないことを「財産の管理を怠る事実」(法二四二条一項)と構成し、地方公共団体の住民に当該損害賠償請求権そのものを代位行使することを認めた規定であると解される。そうすると、地方公共団体が有する損害賠償請求権の発生原因が、地方公共団体の長の非財務的な職務行為による不法行為であったとしても、右請求権を行使しないことは、財務会計上の怠る事実と見ざるを得ず、これを他の損害賠償請求権と別異に解する理由はないから、右訴えは適法である。

二事実の経過

当事者間に争いのない事実の経過欄記載の事実と〈書証番号略〉、証人野口邦彦、同酒井修、同助川義光、同渡辺左市、同宮沢俊彦、同古市哲三の各証言、被告青木久の本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。

1  郡山市は、駅西口地区が、小規模な低層建物が建ち並び、駅前広場も手狭であることなどから、昭和四六年ころからその再開発事業をすることを企画し、地権者らとの話し合いを始めることとなった。そして、昭和五〇年一一月二一日福島県知事による都市再開発法に基づく市街地再開発事業に関する都市計画の決定(都市計画法一八条、一五条一項四号、四条七号、一二条一項四号)を受け、郡山市は自らが施行者となる第一種市街地再開発事業(名称「郡山駅西口市街地再開発事業」、以下「本件再開発事業」という。)としてこれを実施する方針を定めた。

右の手法による再開発事業は、地権者(権利変換を希望する地権者)らに対し、地区内の新たな建築物・その敷地に権利変換の方式をとって行われるものであり、施行者である地方公共団体は、その事業計画(都市再開発法五一条、五三条等)を作成し、権利変換計画(同法七二条、七三条等)を定める等の手続を経て再開発事業を進めることになるものである。

郡山市は、地権者らとの話し合いを続けながら、事業計画及び権利変換計画の作成に向けて具体的な準備作業に入った(しかし、現在に至るまで事業計画の作成も権利変換計画の作成も決定の段階に至っていない。)。

2  まず、郡山市は、その企画した再開発事業(郡山駅西口の駅前広場を現在の二倍に広げて、事業区域内の地権者の資産を広場の北側に新築する再開発ビルの床に権利変換をするという再開発事業)について、地権者に対する理解に努めた結果、双方一応の了解に達したことにより、昭和五五年七月二八日に、市と地権者協は、次のことを確認し、合意をした。

(一)  市は、本件再開発事業に対する具体的方針を提示し、事業説明資料と併せて採算性の検討を進める。

(二)  地権者側は、テナントを内定して条件の煮詰めを行わなければ事業に対する賛否が出せないため、テナント選考とその方法について提案する。

3  そこで、再開発ビル入居者選考委員会が設置されて(委員として地権者側から五名、市側から三名、商工会議所側から三名が選出された。)、昭和五六年三月一九日に第一回の審議が行われ、同年七月二九日に、郡山市長に対し、「再開発ビルを構成するものは都市的魅力を備えた大型店を中心とする」旨の答申をした。

市は、右答申をふまえて、テナントの選定作業に入り、都市型百貨店に的を絞り、上位ランキングに位置する都市型百貨店の各社に対して郡山に出店するについての意向を打診し、折衝をしていたが、最終的に「株式会社そごう」を再開発ビルのキーテナントとすることとなった。

4  昭和五七年四月一〇日に、市は、権利変換のモデルとして、再開発ビルの店舗床に権利の変換を受けて、これをキーテナントに賃貸することを希望する場合と、権利の変換を希望しない(区域外に転出を希望する)場合の二つの権利変換のモデル案を作成して、これを地権者に提示した。

5  昭和五八年五月二六日に、市は、「そごう」に対して、再開発ビルへの出店を要請する旨の書面を送付した。

「そごう」は、市に対して、同月二八日に、予定の店舗規模(店舗面積三万一〇〇〇平方メートル)を容認されるならば、入居を受け入れる旨の回答をした。

同年六月五日、市と地権者は、権利変換方式に伴う再開発ビル内の床の賃貸条件について話し合いをし、地権者側は、市側が提示した各地権者ごとの家賃純利益と保証金等預り金運用益についての具体的な金額を了承した。

同月一〇日、地権者と市は、再開発ビルのキーテナントとして「そごう」を入居させることを合意した。

翌一一日、市は、市議会及び商工会議所に対して、再開発ビルのキーテナントとして「そごう」を入居させたい旨の説明をした(「そごう」は、「郡山そごう」を設立して、「郡山そごう」を出店させることとしていた。)。

新聞は、郡山市が事業主体となって進めてきた郡山駅西口市街地再開発事業のポイントとなる再開発ビルにキーテナントとして「そごう」が進出することが決まったと報道した。

同年七月二二日に「株式会社郡山そごう」が設立された。

6  ところで、「郡山そごう」(予定店舗面積三万一〇〇〇平方メートル)が再開発ビルにキーテナントとして進出するには、大店法により、商業活動調整協議会の審議等を通じて、周辺中小小売業の事業活動との調整を計る必要があり、その予定店舗面積がそのまま認められるか否かについては不確定要素があったため、郡山市が本件再開発事業の事業計画及び権利変換計画の決定等を行うには、その調整の結果をみる必要があった。

7(一)  昭和五九年一月一四日、市は、福島県知事に対して、通商産業大臣宛の第一種大規模小売店舗届出書(小売業者「郡山そごう」、店舗面積三万一〇〇〇平方メートル、開店日昭和六〇年九月一日、すなわち、「原計画」)を提出した。

(二)  福島県知事は、昭和五九年一〇月四日、右届出を受理した。

(三)  市は、右届出(三条申請)の受理が遅れたことにより、開店日を昭和六一年一〇月一日とすることに変更した。

新聞は、再開発事業にようやくゴーサインが出たと報道した。

(四)  三条申請が県に受理されたことにより、商工会議所会頭は、昭和五九年一一月二九日、商調協に対し、「郡山そごう」の出店についての審議を要請した。

商調協は、「郡山そごう」の店舗面積、営業時間、休日日数、開店日の四項目についての審議を始めることとなった。

「郡山そごう」は、昭和六〇年二月二二日に、商調協において、出店計画の概要を説明した。

地権者側も、「そごう」側も、商調協での審議を通過すれば、原計画を大幅に変更することなく再開発事業を進めることができるものと考えていた。

8  ところで、昭和五五年ごろから全国各地に大型チェーンストアや百貨店等が地方に進出しようとする動きが出てきたために、地元の中小の小売業者と対立することとなり、大型店の出店を調整していた商調協の審議を阻止する行動に対して機動隊が導入されたり、行政訴訟が提起されたりする等各地で紛争が生じていた。郡山においても、「そごう」の出店が報道されるや、死活の問題であるとしてこれに危機感を抱き、その進出に反対する商業者約一七〇〇名(店)をもって構成された「そごう対策協」が結成されて、「そごう」の出店に反対する運動を強力に展開していた。

9  昭和六〇年四月七日に行われた市長選挙は、事実上、本件再開発事業の推進者である高橋市長(当時)と、三万一〇〇〇平方メートルもの売場面積を持つ「そごう」が進出すれば、市内、特に、駅前商店街の小売業者の壊滅をもたらすという考えを持ち、「そごう対策協」の支援を受けた青木久候補との対決となり、青木久が当選した。

10  四月一五日に開かれた商調協の席上、商工会議所の大高副会頭は、「青木市長は、駅前の再開発について緑地を取り入れるなど、これまでの市の計画と違った開発方法を発言しており、このまま商調協で審議を進めると、混乱が生ずるおそれがある。新市長と商工会議所会頭の会談まで審議をストップしてほしい。」と申し入れた。

実質審議に入る予定であった商調協は、これを受け入れて(再開発事業の施行者である郡山市のトップが変わった。新市長は「そごう」出店に反対するグループの全面的な支持を受けている。この時点で商調協が先走った審議をするのは問題がある、とする意見が出されて)、審議の予定をくり延べることとし、実質審議は見送られ、市長と会頭との話し合いを待って今後のすすめ方を決めることとなった(審議を中断した。)。

11  当選した青木市長は、四月二七日の記者会見において、「駅前再開発は基本的には整備をしなければならない。「そごう」の進出については商調協の審議にかかっているが、急がず、あせらず、地権者、「そごう」反対派と話し合い、一致点を見出したい。」とか「もう一度、原点に立ち返って、多くの立場の人の意見を聞いて、コンセンサスを得て進めたい。」という考えを述べ、「商調協に対しては、審議は当分見合わせてくれるよう、申し入れている。」と述べた。

12  五月一七日の地権者協との懇談会において、青木市長は、「個人的な夢、全くの私見で固定化したものではない」と前置きして、「再開発ビルの敷地を半分に分け、一つは緑豊かな小公園とし、残りに、ショッピング街、合同庁舎(第二県庁)や第三セクターによる都市型ホテルを入れるなど一六階建てほどのコンベンションシティ型ビル(下層にショピング街、その上に第二県庁的なスペースとホテルを入れる)を建てられれば、と夢を描いている。」と述べた。

青木市長が自分の夢として新しい開発方法を述べたことに対し、地権者側は、青天のへきれきとして、「今までの計画を白紙に戻すのは我慢できない」とか、「一六階建てのビルを建てることについては、すでに前に審議をしているはずである」とか(その点については、一階あたりの面積が狭いと商売がやりにくいとして立ち消えになっていた。)、「そごう出店は郡山市長との約束だ。市長が変わったからといって、約束を白紙に戻したり、後退させることは行政の不信を招く。」とか、「青木市長はそごう阻止勢力の支援で当選したといわれているが、行政の判断は公正な立場で行ってほしい。」とか、「夢の話ではなく、正式な方針を早急に示してほしい。」と述べた。

青木市長は、「そごうの出店は他の商業者に大きな影響を与えると思う。六月議会か九月議会を目指して、しっかりした方針を出したい。」と述べた。

13  青木市長は、五月二一日の商工会議所正副会頭との懇談会においても、12と同旨の一六階建てタワービル建設の私案を述べるとともに、「六月定例議会には間に合わないが、地権者の利益を第一に考え、皆さんの協力で九月議会までには考えを具体化させたい」として、「原計画を直ちに撤回するつもりはないが、新しいプランを考える。」と原計画の変更を事実上認める発言をした。

商工会議所側は青木市長の主張に理解を示し、商調協については市と会議所の話し合いの方向が定まるまで中断してもらうことで意見が一致した。

14  八月二〇日に開かれた地権者協との懇談会において、青木市長は、原計画を見直し、「そごう」の床面積を約三分の一減らして二万平方メートル前後とし、それ以外はホテル、駐車場、貸事務所などとする、テナントについては「そごう」を含めて市が責任をもって決めるとし、二一世紀にはばたく郡山を象徴するものとして二一階建ての複合ビルという構想を、今は概念を絵にしただけであって、具体的な設計図は、商業床、業務床の比率、テナントなどが決まってから作成するとして、地権者側に見直し案を示した。

しかし、地権者側から、強硬に反対されて、その撤回を求められ、二四日にあらためて市の最終態度を示すこととなった。

15  四日後の八月二四日、青木市長は、二〇日の地権者協で提案した二一階建ての複合ビルという見直し案を撤回することとし、原計画で対処する旨を発表するとともに、その場合でも、(1) 郡山市の未来像に合致すること、(2) 全市民の利便に役立つこと、(3) 行政改革の時代的要請に応じて、民間活力を導入して、財政負担の軽減を図ること、(4) 既存商業者と共存共栄が図られること、(5) 地権者の現在及び将来にわたる利益が具体的に守られること、という五原則を堅持することを付言した。

16  青木市長がこれらの発言をしたり、見直し案の発表をするについては、「そごう」側には事前にも事後にも何の連絡も協議もなく、「そごう」側は新聞等でその経緯を知るのみであった。

「そごう」では、これだけ歳月をかけて積み重ねに積み重ねをやってきたものがそう簡単に変わるということはないであろうし、ましてやこの事業には国からも県からも補助金が出ているものであるからとして、原計画どおり進められるものと考えていた。

本件再開発事業には昭和六〇年三月末日までに国と県からの補助金として合計約一三億八〇〇〇万円、市からの補助金として約一〇億円が投入されていた。

「そごう」では、青木市長の発言を新聞で読み、市の藤森課長らに市長の真意をただしたりしていたが、青木市長の発言に対しては、「そごう」に一言の相談もなく、思いつきのようにポンポン述べているとして、不信、不快の念を抱き、青木市長が、原計画を進めるといいながら、五原則を堅持すると言っていることについても、引き延ばしを図っているのではないかと警戒していた。

17  九月二五日に仙台通産局において開かれた四者協議会(通産局、県、市、商工会議所の四者)では、商調協が中断している点が協議され、商工会議所が、「郡山そごう」に対し、出店の意思を確認した上で、審議を早期に再開させることを確認した。

「郡山そごう」は、仙台通産局に対し、一〇月一日に、出店の意思のあることを伝えた。

18  市は、「郡山そごう」に対し、見直し案を撤回した二日後の八月二六日に、口頭で、「原計画どおり進める」旨を伝え、同年一〇月二日に、あらためて、協力要請の趣旨を記載した青木市長名の文書を交付した。

一〇月八日、「郡山そごう」の佐々木準備室長らは、市の山口助役に対し、一〇月二日の市の出店協力の依頼に対して、青木市長の五原則の内容をもっと明確に分かりやすく説明してもらいたいこと、三万一〇〇〇平方メートルの売場面積でもって大店法の手続をしていながら、青木市長が二万平方メートルの売場面積という発言をしていることはどういうことか、商調協が開かれない理由は何かを、文書で回答することを求めた。山口助役は、それ(文書による回答)はできない、と断った。

一〇月一四日、「そごう」は、山口助役の「市と「そごう」とのトップ会談がなければ、商調協は開かない」という発言に対して、抗議をした。

19  一〇月三〇日に開かれた市と地権者協との懇談会において、地権者側は、原計画で推進することを決定した以上、早急に商調協の再開を要請すべきことを強く要求したのに対し、市側は、市長と「そごう」とのトップ会談は、商調協再開の条件ではないが、商調協の混乱を招かないためにも、「そごう」と煮つめる必要があるとして、商調協の再開には時間がかかる、と答えた。

20  一一月五日商工会議所の福井会頭は、商調協の委員に対し、「そごう」出店に関する件については、市当局が当初の計画を推進することになったので、九月二五日に仙台通産局において四者協議会が開催された結果、審議を再開することになったこと、但し、その審議再開の時期については、市と「そごう」が話し合うなどの準備が整い次第ということであったので、それらの話し合いが整った時点で審議をお願いすることになりますので、今しばらくの間お待ちいただきたい旨の書面を送付した。

21  一一月二五日に、郡山市は、市議会の駅西口再開発事業促進特別委員会において、「駅前再開発ビルの完成見通しは当初計画より三年ほど遅れ、昭和六三年一〇月ごろになる。商調協は六一年一月を目途に再開することに県と仙台通産局に指導を仰ぐことにする。」と説明した。

22  「郡山そごう」は、郡山市の事務当局との間で、原計画を推進する方向で事務手続を進めていたが、青木市長が、商調協に審議の中断を申し入れたとか、郡山市が大店法三条により届出をしている「そごう」の三万一〇〇〇平方メートルの売場面積はあまりにも広すぎる、二万平方メートル位が適当であるとか、原計画に戻すけれども、五原則は堅持するとかと新聞等で発言していることを聞知していたことから、市の行政には一貫性、継続性がないとして、青木市長の発言に対して強い不信感、不快感を抱いていて、特に売場面積の削減の発言については、これでは都市型百貨店としての経営は不可能と判断していた。

そのために、「そごう」では、数度にわたる青木市長からのトップ会談の申込みを拒否し、青木市長には原計画どおり事業計画を遂行しようとする意思がないとし、二〇〇億円という巨額の資本金を投下して都市型百貨店を作るという計画は難しく、それだけのリスクを冒すことはできない(青木市長の取組みの姿勢からみて損害が大きくなるばかりである。)ものと判断するに至り、「郡山そごう」は、「そごう本社」とも協議のうえ、市に対し、再開発ビルに出店する計画を断念し、昭和六一年一月七日、「そごう」は、郡山市に対して、「青木市長が新聞紙上において事業計画の見直し及び諸条件の再検討等を種々発表していることについては、ただただ呆然自失の有様で、協議をした結果、出店を辞退する」旨の通知をした。

「そごう」の井上本社副社長(郡山そごう社長)は、一月七日に記者会見をして、「これまで青木市長が新聞や議会に発表している見直し案は一切当方には相談もなく、一方的なものであるが、これから数百億円を投資する出店計画であるので、市の対応がくるくる変わってはとても信用できない。」「高橋前市長のときに売場面積を三万一〇〇〇平方メートルに決めていたのを、青木市長は二万平方メートルに縮小すると発言するなど、「そごう」の計画にブレーキをかけている。」と述べた。

郡山市は、事務当局と「郡山そごう」との間の事務折衝が比較的スムーズに進められていて、一二月二四日の会合では、「そごう」の開店時期を昭和六三年の後半とするといった話題すら出ていたので、非常に驚き、「そごう」に対して、その翻意を求めたけれども、「そごう」の辞退の意思は変わらなかった。

「そごう」は、本件に参画して以来、「郡山そごう」を設立し、地元の高卒だけでも昭和五八年には三〇人、昭和五九年には二一人も採用して、系列の横浜店、千葉店で社員教育を実施するなどしていて、開業準備資金として一億五〇〇〇万円、人件費として二億円という費用を投じていた。

23  昭和六一年郡山市議会三月定例会会議において、駅西口再開発促進特別委員会の鈴木委員長は、昭和六一年一月二九日に「そごう本社」の水島社長と懇談した結果について、「商調協としては法的には「そごう」の売り場面積に関する青木市長の発言に拘束されることはなく、独自の立場から調整を図ることにはなっているが、現実的にはどうであろうか。「そごう」としては、商調協での結論を一万数千平方メートルと予想するが、この面積で都市型百貨店として商売が成り立つかどうか、検討したが、出店については極めて悲観的な意見が多かった。そこで、商調協が再開されてから出店辞退を発表することは関係機関に多大な迷惑をかけることとなるので、一月七日に辞退を通知した。」という水島社長の談話を報告した。

24  昭和六一年七月二二日に、郡山市は、「そごう」をキーテナントとする大規模小売店舗廃止届出書を県に提出した。

原計画は「そごう」の出店辞退により御破算に終わった。

25  本件再開発事業は現在も継続しているけれども、青木市長の唱えている「郡山駅前再開発ビル計画提案競技」(いわゆるコンペ方式)については、地権者側が原計画以外は受け入れられないとして、これに強く抵抗している。

三原告遠藤直人の主位的請求の2について

1 地方公共団体の施策を住民の意思に基づいて行うべきものとする住民自治の原則が、地方公共団体の組織及び運営に関する基本原則であることはいうまでもないところである。そして、地方公共団体が一定内容の将来にわたって継続すべき施策を決定した場合でも、右施策が社会情勢の変動等にともなって変更されることがあることはもとより当然であって、地方公共団体は原則として右決定に拘束されるものではない。地方公共団体の長は、誠実執行義務(法一三八条の二)に基づき、右のような継続的施策についても、法令の範囲内において、そのときどきの社会情勢等に鑑み、住民の利益に合致するよう施策の推進又は変更、中止等の措置を執るべきであり、本件の都市再開発事業のように都市政策、産業政策上、高度な政策的判断が必要とされる場合、何が住民の利益に合致するかの判断については、長に広範な裁量権が認められていると解するのが相当である(すなわち、地方公共団体の長には、その付託を受けた住民の利益のためにそのときどきの政治、社会、経済情勢の変化に応じて最善と考えられる途を選択していくことが求められているものであって、いったん決定して実施に移した施策であっても、その後その施策の継続が不適当であると考えられるに至ったときには、臨機に柔軟な対応をとることが許されているものというべきである。)。

もっとも、地方公共団体がその継続的施策を変更するにあたって、既に第三者が地方公共団体と密接な交渉を持ち、その施策が維持されるものと信頼して活動に入っている場合には、信義衡平の原則に照らして、その第三者に対して、不法行為責任を負わなければならないことがあるのは、最高裁判所第三小法廷昭和五六年一月二七日判決(民集三五―一―三五)の説示するとおりであるが、地方公共団体の長は、そのような損害賠償義務、あるいはそれまで支出した費用が無駄になる等の不利益をも考慮に入れたうえで、何が住民の利益に合致するかの判断をその広範な裁量権の範囲内でこれをなし得るものである。

従って、地方公共団体の長の右のような施策に関する行為が、地方公共団体に対して不法行為となるのは、それが住民の利益に反することが一見して明白であるとか、長の背任行為にあたるものである等、前記のような長の裁量権の逸脱又は濫用と認められる場合に限られると解するのが相当である。

2  これを本件の青木市長の施策の見直しないし変更についてみてみると、これらは同市長がその立場から住民の利益を考えてした判断というのであって、前記二の認定事実からみて、その裁量権を逸脱又は濫用したと認めることはできず、違法であるということはできない(その当、不当は、最終的には住民による選挙を通じて判断されるべきものである。)。

同原告の主位的請求は理由がない。

四原告遠藤直人の予備的請求の訴えの適法性について

右訴えは、郡山市が「そごう」に対して有する不法行為(「そごう」が再開発ビルにキーテナントとして入居することを辞退したことが郡山市に対して不法行為に該るとするもの)による損害賠償請求権について、青木市長がその行使を怠り、右請求権について時効消滅させたことにより、郡山市に同額の損害を与えたとして、法二四二条の二第一項四号前段に基づき、当該職員(被告青木久)に対し、損害賠償の代位請求をするものである。

そこで、同原告が、右訴えについて監査請求を経ているか否かを検討すると、同原告が昭和六一年三月一一日にした監査請求の要旨は、青木市長の違法又は重過失による「見直し案」の提示等の行為により、「そごう」が出店辞退に追い込まれ、従前の再開発事業計画が変更を余儀なくされたから、被告青木久に対して損害賠償を求めるというものであり、郡山市が「そごう」に対し不法行為に基づく損害賠償請求権を有するのに、これを行使しないという趣旨は全く含まれていない。

従って、同原告の右訴えは、監査請求を経ていない不適法なものである(法二四二条一項本文)。

五原告古市哲三の主位的請求について

同原告の右請求は、青木市長の原告の見直しないし変更が違法なものであることを前提としているものである。

しかしながら、青木市長の原告の見直しないし変更が違法なものと認められないことは前記三の2のとおりである。

同原告の主位的請求は理由がない。

六原告古市哲三の予備的請求について

同原告の右請求は、「そごう」の出店辞退が郡山市に対して不法行為に該ることを前提としているものである。

しかしながら、前記二の認定事実からみて、「そごう」の出店辞退が郡山市に対して不法行為に該ることを認めることはできない(「そごう」は郡山市との間に、確定的な出店契約を締結していたものとみることはできないし、当時の情勢ではその出店を辞退することには無理からぬものがあったとみるのが相当である。)。

同原告の予備的請求は理由がない。

七よって、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官武田平次郎 裁判官手島徹 裁判官渡部勇次)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例